咽頭~声帯が、未来の生殖器官になるのだそうだ。
エフェソス=オイリュトミー。
確かに、いびきは体をマッサージしているのだろうね(笑)
あんまり大きくては困るが、それはおそらく全身の問題なのだろう。
“体表”は“クラドニパターン”とやらと関係があるのではないかな。
“表相の中和→表相の対化”、そして、“方向性の対化”。
脱表象化のあとで、カタチの世界に入る。
これは、響き合い、共鳴ということと関係している。
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イデアの世界は、神話と関係している。
そして、それにともない、舞踊や音楽などの、芸能がある、ということなのだろう。
やわらかいものは残らない。
残るものは硬いもので、そこから歴史を考えている。
土の中で眠る両刃の剣は、すでに失われた芸能や身体の夢を見ている。
私たちはもう一度、踊ることから世界を始めるだろう。
土の中に剣を埋めた私たちの先祖。
この土地で戦争はもうやらないと、決めたのである。
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武はケガレとして認識されていた。
その意味で、第九条の歴史的な必然性はあるのだろう。
その答えは日本語のやわらかさにあるのではないのかな。
土着民が支配者の暴力を嫌ったというだけでは説明がつかない。
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■笠井叡『カラダと生命/超時代とダンス論』(書肆山田 2016.2)
「脊髄は単性生殖に必要な二つの極を、二重の仕方で生み出します。その一つが、直立の結果生じる、声におけるコンゾナント(父音)とヴォーカル(母音)という分節声であり、もう一つが、意識性と物質性という対極なのです。人間が両性生殖から単性生殖へ移行していくカテゴリーには、この二つの橋が存在しているのです。
誕生と同時に人間に宿った声の力は、基本的に意識性と物質性を繋ぐ根源的な力を有しています。この声の力は人間のほぼ十四歳のころの、「声変わり」に到る時期まで続きます。けれども、「声変わり」において、この物質性と意識性に働きかけることのできた声の力は、二つに分断されます。一方は下方に流れて、生殖器官を成熟させる生命力となって消費され、他方、上方に昇った声の力は、高次の意識性に結びつくのです。その後、主としてコンゾナントは意識性と結びつき、ヴォーカルは物質性に結びつきはじめます。」
「父声と母声の結びつきによって、一つの音節がつくられていること自体の中に、不完全な単性生殖が存在しましたが、父声と母声がこの時点で完全に結びつくのではありません。さらに上方においては感覚力と思考力、下方においては血液の物質性をさらに高めることによって、それまで決して結びつくことの無かった二つの対極が体内で初めて結びつくのです。
そのとき、母声の「高次の物質性」を「稲妻」として、父声の「高次の意識性」を「稲殿」として、この二つの間に、落雷作用・放電作用が生じます。これが、単性生殖の受胎の瞬間です。」
「このような父声・母声の結びつきを、わざわざ「単性生殖」というコトバを使わなくとも、「覚醒」とか「自己啓発」とか「宗教的境地」等の言葉で説明してもいいのではないか、という疑問が生じるかもしれません。けれども、ここまで「生殖」という言葉にこだわってきたのは、単性生殖の受胎行為から成長してくるものが、人間と同じく、眼・耳・舌・鼻等の感覚器官、心臓・肺等の臓器を携えて成長するからです。単性生殖によって生じる「気形透明体」には、人間と同じくすべての感覚器官・臓器が備わっているからです。そして、またこれが植物的な有機生命体ではなく、鉱物生命そのものから立ち上がってくる、新しい生命圏にふさわしいカラダだからです。」
http://goo.gl/y29nHD