“表相”の語は重要ですが、他にも、“表”の付く語になにかありそうです。
(※過去データのヌーソロジー用語辞典ですが、検索すると出てきます。)
-引用-
●表因(ひょういん)
対化がもたらす総体の内面性のこと。表相を進化の方向を向かせる力。顕在化の発露を送りだす力。自己と他者の質点の関係を点と点の関係から、円環と その中心点の関係に見させるようにするもの。
-引用-
…ピックアップすると、
“対化”に関係がある。
“表相を進化の方向に向かわせる。”
“顕在化の発露を送り出す。”
…で、ここが重要と思いますが、
自己と他者においての“点と点の関係”を“円と中心点”の関係にする。
少し寄り道します。半田さんのTwitterです。
-引用-
…このツルギがヤツカノツルギと呼ばれるもので、これは神話ではスサノオが退治したヤマタノオロチの内部から出てくるものなんだよね。で、このオロチは古語では「ハバ」と呼ばれていた。
八つの方向に広がったハバ。これがヤマタノオロチの正体と言っていいと思うんだけど、それが時空なんだね。ヌーソロジーが時空批判(笑)する意味がわかるよね。この概念が天の横暴を作り出して、地を抑圧しているということなの。
この暴れまわるオロチを退治するのがスサノオが持った剣のことで、これを別名「アマノハバキリ」という。ハバを斬るわけだよ。そのときねオロチ自体の内部からヤツカノツルギが出てくる。
-引用-
オロチは蛇の一種ですが、ヌーソロジー的に考えると、脱皮できない蛇、あるいは脱皮し損なった蛇ではないでしょうか。
この場合、脱皮は、“次元の交替化”を示すと考えられる。地球の脱皮ですね。
蛇の民族学研究で有名な吉野裕子(ひろこ)によれば、
「蛇の古語「ハハ」は畳語(じょうご)であって、その前には「ハ」があったと推測される」。『日本人の死生観/吉野裕子』p.155
とあり、蛇の古語は「ハバ」ではなく「ハハ」です。
このニュアンスに対応するのは、上の“表因”で引用した、
「“点と点の関係”を“円と中心点”の関係にする」
の部分でしょう。
これは、“円心”図を用いて考えればすぐに分かる。
つまり、ψ1-2が、モノから空間へ拡大方向、そして、空間からモノへの縮小方向の意識を示す。つまり、マクロとミクロ方向の意識であるとして、これが人間の意識の全像なわけですが、
この、点的な存在であるモノを中心とし、そこから広がったり、また収縮したりする空間意識の運動がある。すなわち、それを物質として対象化する意識の働きである。
一方、“対化”は、単線ではなく、複線であり、円環と中心点の関係となる。
これはイデアとしての“円心”です。
線分A→B、あるいはB→Aという単線ではなく、A⇔Bという複線である。
これが、ハバではなく、ハハであること。あるいは端的に“ハ”である、ということのニュアンスでしょう。ハ=端、ですね。
それは要するに、“脱皮する”という蛇の生物としての一大特徴を示している。
参考データ:
円心に関して ヌースレクチャー 1996.10
参考ページ:ツイッター
http://goo.gl/kwIfVq
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“表因”の説明の後半部分。
-引用-
●表因(ひょういん)
対化がもたらす総体の内面性のこと。表相を進化の方向を向かせる力。顕在化の発露を送りだす力。自己と他者の質点の関係を点と点の関係から、円環と その中心点の関係に見させるようにするもの。
新たな方向性の対化を出現させる力。ヒトの総体の最終構成が生み出す。重心の変換作用によって生まれる。
-引用-
新たな“方向性の対化”を出現させる。
“重心の変換作用”により生まれる。
…の二点。
まず気になるのが“重心”で、これは先にも引用したように、人間における「神」の定義となっている。
“重なっている”ということに関係がある。ヌーソロジーでよく出てくる言い回し、“重畳(じゅうちょう)”。観察子的な次元構造が重畳している。
進化の方向性を持てない人間の意識の特徴が、“重力”に反映されている。しかし、ヴェイユが言うように、人間は、重力を恩寵とし、重力の中こそをくぐり抜けねばならない。重力からの解放は、重力そのものの止揚として現れるということ。言葉にすれば、そういう表現になる。
これはある種のトートロジーですが、ヴェイユの言う“不幸”にも関係しているでしょう。「芸術、学問、そして不幸は、超自然性が入り込む三つの裂け目である」。
そして“持つ”“つかむ”ということ。モノをつかむという基本的な行為、つまり、モノを対象化しようとするψ2の空間意識の中に、Ω2(ψ14)という高次元が“重畳”している、ということ。ψ14に到るまでの次元が重なっているということ。潜在的には、ですね。
ヌーソロジーでは“身体”が高次元空間の反映だ、とされている。その“行為”もまた、似たような性格をもつということでしょう。
ところで、確か、“重心そのものは変換能力をもっていない”とあった。
これは、「表因は重心の変換作用により生まれる」と矛盾しているのではないか?
-引用-
●重心(じゅうしん)
ヌーソロジーにおける「神」の定義。ケイブにおける黄金分割点そのもの。二つの黄金比(内分比、外分比)を見い出すもの。対化の内面と外面を分割するところ。対化の外面から内面に入るところとは、人間が顕在化を起こす最初の部分と考えられるので、このとき人間の意識に顕在化を起こさせる起点となっているものが重心の位置となる。重心自体には変換される力はない。
-引用-
より正確には「重心自体には変換される力は存在しない」。
“重心”は、“変換作用”の“中点”、つまりゼロポイントである。ゼロであるから、それそのものの中に“変換される力はない”。そういうことでしょう。
要するに、変換作用が働く…つまり、精神の進化の力が働くためテコ、トリガーポイントである。
言葉を変えれば、“重心=神”は、進化への変換作用を“待って”いる存在、予感している存在と言えるのではないか。
…そして次。
表因は、新たな“方向性の対化”を出現させる。
ここ、重要ではないでしょうか。
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-引用-
●表因(ひょういん)
表相を進化の方向を向かせる力。顕在化の発露を送りだす力。自己と他者の質点の関係を点と点の関係から、円環と その中心点の関係に見させるようにするもの。新たな方向性の対化を出現させる力。重心の変換作用によって生まれる。
-引用-
-引用-
●表相の対化(ひょうそうのたいか)
方向性の対化。自己と他者の関係を作り出しているものの本質。点の対化。顕在化において生まれる最初のカタチ。
-引用-
-引用-
●表相の中和(ひょうそうのちゅうわ)
人間の最終構成から顕在化に入るところに生じる。人間に表相の働きを失わさせること。すなわち、表相の顕在化を起こさせ表象化をやめさせてしまうこと。表相の対化を作り出すための上次元の調整作用。
-引用-
表相の対化=方向性の対化、ということのようである。
おそらく、同じものを、潜在化、つまり人間から見たのが「表相の対化」、顕在化、つまり変換人~ヒトの側から見たのが「方向性の対化」、ということなのでは?
その意味で、これはひとつの「鏡」でしょう。
ヌーソロジーの全体的な方向性は、変換人、あるいはヒトに向かっている。
しかし、人間を見る場合に、「中和」というタームが重要になる。
それは、人間の意識そのものが宇宙の精神の進化の反映であり、中和そのものであるからですね。つまり、付帯質です。
人間という存在の生産が、宇宙の排泄物であるので、人間のおこないもまた、それに近い。人間は、ウンコをし、それを始末する。そういう存在である…
食って寝てクソして…確かに本質的にはそんな気もします(笑)
では、どのようにして、具体的に、表相は中和されるのか。
その具体性に関して、じゅうぶんに言及されていますか?
-引用-
●表相の調和(ひょうそうのちょうわ)
表相が覚醒自身を交差し、ヒトの内面の表相の上次元へ出ること。すなわち、表相の中和の上次元。中性質の内面に生まれる次元。人間の内面の意識では生物が作る生態系として見える。生物と非生物の生成は交替化における上次元と下次元の生成に関係があるということ。
-引用-
表相の中和を作用させる、その本質としての上次元である、“表相の調和”に関して言及されている。
これをどう読みますか?
図:表相の対化 ψ1-1*
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補足:
自分の書き込みは、ヌーソロジーの全体的な方向性、つまり、半田氏のオコツト情報の解釈の文脈からすると、ある種の“ネタバレ”的な要素を含んでいると思っています。
というのは、ヌーソロジーの基調は、自然科学の言葉で、ぎりぎりまで引っぱっていって…思考の限界体験、描像可能性…、“上次元の中和で落とす”、という、語り口になっているわけですね。
オコツトとの交信はその時その時の対話であり、脈絡はないわけですから、それを物語にしているのは語り手としての半田広宣氏です。
こむずかしい数式をならべていって、最後に「女」とか「自然」とか「身体」で落とす。
そういう意地の悪い見方もできる。
そういう落としの部分で、「妙性質=男女の性」といった概念が出てきますが、甲田さんのように、いきなり「妙」に食いついても困ると(笑)
でも、日本の思想って、ある意味ソレでは?
-引用-
日本人とは何ですか?
今の人間の核質です。位置の転換はほとんどがこの核質によって行われています。
-引用-
“日本人=人間の核質”の意味は取りかねますが、「位置の転換」に関しては、「位置の変換」に対するウラ、というニュアンスでしょう。
ある種の“返し”ですね。
そういう、精神の進化の物語に関するある種の“裏ノリ”を、日本人の魂はその深部に基調低音のごとく宿している。
だから、いまだに、太古から変わらずの性器信仰なんだし(道祖神、蛇信仰、他)、SHUNGAなわけでしょう?
その意味では、“落とし”からいきなり入るのも、実はアリでしょう。
「表相の中和」という概念の面白さ。
「表相の中和=方向性の中和」という時に、両者の間に微妙な距離があるような気がする。
潜在化と顕在化をまたぎこそうとするこの距離、行為の中に、今の時期の人間、つまり最終構成における人間の振るまいのすべてが、あるといっても過言ではない。
それくらいの意味があると考えています。
-引用-
●表相の中和
人間の最終構成から顕在化に入るところに生じる。人間に表相の働きを失わさせること。すなわち、表相の顕在化を起こさせ表象化をやめさせてしまうこと。
-引用-
これを、さらっと通り過ぎることはできない。
※余談の余談
以前は、詩人K、つまり河村悟氏がいた。ヌーソロジーと、詩人の世界と、対になって、ある種の緊張感があったわけです。今、それはありませんからね。時代が変化している。
土方巽の言う舞踏における“衰弱体”とは、メタモルフォーゼに向けての予感する身体でしょう。
そして今、その予感は、実際の変容に変わって来ています。