以下、『四つのエーテル』からの熱エーテル言及部分のピックアップ。
-引用-
宇宙進化の原初に生まれたにもかかわらず、火元素-熱エーテルの対は、この本の中で触れずにきた。
なぜならば、これは他3元素と本質的に異なり、熱は、非空間的であり、ゼロ次元である。
古土星期は、熱-火からのみ成り立っている。
熱は「内包的な運動」であり、その反対は、空間性を前提としなければ生じ得ない「外延的な運動」である。外延的運動は、古太陽期に初めて現れる。
熱-火はどのようなかたちで存在するのか? それは時間として!
古太陽期に空間が生まれたように、古土星期に時間が生じた。熱が時間を現象化させた。
火元素の特徴は、知覚世界から消えていくということ。他の元素と異なり、熱は消えていく。熱エーテルは現象界にあって、生み出し、成長させ、熟させる。
植物に花を咲かす。子供の歯を生え替わらせる。これはみな熱エーテルの働きである。
熱エーテルは生まれていく時間であり、火は消えていく時間。両者は未来と過去のように、現在において互いに浸透している。
-引用-
面白い。
痛み-炎症-熱は、時間の番人であるとも言える。
症状の本質は経過である。治るという結果ではなく、症状は経過に本質がある。それは人間の行為を巻き込んでおり、コミュニケイティブである。
整体の野口晴哉(はるちか)は、それゆえに「風邪がいちばん“難しい”」と不思議なことを言っている。・・・なぜならば風邪は、人それぞれ、その時々に症状が異なる。それゆえに経過を見ることがとても難しいのだ、と。
おそらく風邪が、ひとつ、コミュニケーションという契機の要になっているんだね。治る治らない以前の問題として。
熱-生命の本質は時間である。・・・面白い。
本来、あらゆる症状は、互いの時間と時間のはちあわせにより、解消される、遠ざかっていくものなのだろう。
最近、それをひじょうに感じる。
具体的に言うと、治すと同時に、自分も治って来ている。「土俵のケガは土俵で治せ」ではないが。その意味でずいぶん余裕がある。明らかに、ただ疲れるだけでなく、治療することで自身賦活しているのである。
「悲しみ」は説明を必要とする。要するに、延々と悩む。悲しみについて悩みは尽きない。
その意味で、事後的に何かを説明する対象学としての科学は、人間の悲しみをエサにしているのではなかったのだろうか。
その代表が戦争であり、戦争における悲しみが科学を進歩させてきたのではないだろうか。
あるいは、その悲しみが、科学を必要としたのではないか。
人は喜びのただ中にある時、説明を必要としない。
宇宙に初めに生まれた元素である火元素-熱エーテルは、そのような“ゼロ次元”的な特性をもつ。
すなわち、宇宙に遍在しているのである。