・“サイコパス”について
“サイコパス”が“世間の評価を異常なまでに求める”のは、彼にとり、ふつうは“その次の評価”である世間が一番目に来ているからだと思う。
それはなぜかというと、サイコパスが基準とするのは“方法”あるいは“プロセス”であり、“コミュニケーション”そのものではない、ということだろうと思う。
コミュニケーション実現のための行動や言葉があるとして、サイコパスは、コミュニケーション実現という目的よりも、その方法を重視する。例えば「挨拶がなっていない」として、毎日子供をどやしつける。「しっかり目をみて話せ」と、おびえた表情の子供をどやしつける。そういう人格のあり方である。
だからよく犯罪者のサイコパスで、身近なものを激しい折檻や拷問で殺した、などの事件があるが、それはそれで彼の中では、“ルールを破った”とか“正義に反する”などの理由があってのことなのだと思う。しかしそのことがまったく、コミュニケーションや愛情につながっていない。
サイコパスには、悪い点と良い点がある。悪い点は、ヒトラーなどに代表される。良い点は、サイコパスは愛情のない環境で生きぬく強さをもっている。また、愛情や人格で人を判断せず、功利性、損得にによってのみ判断するので、ふつうであればとても世間に相手にされないような人も、サイコパスな経営者は使ってくれるだろう。